12月21日は、終い大師。京都の東寺では、終い弘法。
ほか、納め大師など、各地でいろんな呼び方をする。 いずれにせよ、そういう時期なのですね。境内は、にぎやかに老若男女が、露店を横目に歩く姿でいっぱい。100円のお好み焼きは、相変わらず人が並んではります。 また、古道具では、こんなものまで売るか~。っていうのも多々ありますね。 お参りは二の次でも、いいとおもいます。まず足を運んでもらえる場所でありたいですね。 幼少のころは、お参りに行くと、汽車に乗れる。途中で食事もできる。いろんなお店も行ける。 いろんな楽しみがありました。 一人でも笑顔が増える、こころ落ち着く場所であるよう、一端をお手伝いしたいものだと、 年末におもいました。^^。 #
by koudouan
| 2004-12-21 21:05
今日は、大阪府枚方市にある、養護老人ホーム 松風荘(しょうふうそう)への出張。
四天王寺から電車を乗り継ぎ約1時間。 星が丘の駅を降りて地図を確認すると、目の前の急な坂がみえました。 コレを登るんだ。ちょっと息がきれます。 松風荘に到着し、施設の方にいろんなお話を伺う。 その方は、約20年福祉事業に関わっておられ、ここでは、約5年とのこと。 入所者が約百人。上は、100歳になっておられる方がおられる。 実は、ここは、四天王寺福祉事業団の施設でありながら、訪れるのは初めてである。 ほかの施設についてもほとんど同様のことがいえる。 11時に法要を勤める。控え室から、仏間へ向かう廊下には、椅子に座られた入所者の前を 「こんにちは」と声をかけながら通る。そして、仏間に到着すると、ワイヤレスマイクを手渡される。 「??」と、思っていると、この場所が狭いため、廊下に坐っている方が、声だけ聞く形なのを理解した。そして、お勤めをおえる。 そのあと、廊下の端っこに立って、法話をおこなう。 控え室からでる少し前に、すずりなどを用意していただき、記した半紙を手にお話を。 そのあと控えに戻り、お食事をいただきながら雑談をしばし。 そのお話は、常に入所者の身になった立場からの話し方である。 ともすると、わたしは、自分の都合に合わせてしまうことを考えていることに、はずかしさを 覚える。 そして職員さんの仕事の大変さを知った。 此処へ来なければ「知らない」。わかったように施設の話をしていたことに、入所者のかたに、職員の方々に「ごめんなさい」、同時に「ありがとう」と思えたのでした。 帰りがけ、玄関の椅子に、ご婦人が座っておられ、お声をかけると、92歳。 そのかたは、「ここにいたら、3食なにもせんでも作ってくれたのを、いただくだけで片付けも せんで、ありがたいです。・・・結婚もせず、子供もいないわたし。でもここにいられて、ありがたいです・・・。」と、こんな言葉を聞くと胸が詰まります。 こんな言葉を言わずにおれない、職員のかた関係者の一人一人のあたたかい心配りのおかげなんでしょうね。 わたしが滞在した時間、いろんなお話をしていただいたかた、食事を用意していただいた方、 帰りのクルマで、駅まで送ってくれた方・・・。わたし一人のために、こんな時間を費やしていただき、たいへん勿体無いことです。本当は、入所者のことで手いっぱいなはずなのに。 今日の出会いが、わたしをまた一つ育ててくださいました。 法衣をまとった、また普段着でいる、廣道。 なにを迷っているの? なにかが違うの? こんな、原点に戻らせていただいた、一日でした。 #
by koudouan
| 2004-12-16 23:50
13,14の両日は関東にあらわる、日でした。
出会いに、こころも、身も洗われる。 この二日は、仕事忘れてしまいました。(職場の方にはごめんなさい) 東京に到着し、東京N氏と、相田みつを美術館を参観する。 お出会いすると、すでにチケットを手に受付に。さすがは元N旅行マン。 館内ではお互いに、言葉も無く、「みつを」のことばに誘われてすすむ。 声なくしてことばが、語りかけてくる世界。 夕には、東京N氏宅にての、豪華(豪快?)蟹PT。 飲みすぎで、途中でエスケープするわたし(みなさん失礼いたしました) 気がつくと、お一人はすでにお帰りでした。 人のありかた、集うこと、共生きすることなどをおもい、和やかに諸先輩たちの話の輪に入れていただいただけでも、貴重な時間でした。 普通であれば、今までのわたしであれば、よそよそしくしていたのかもわからない。 (この一年しかご存知でないかたには、「うそでしょ?」とおもわれるでしょうが) でもこの心地よさを共有させていただき、黙々?と、たあ~んと、食事して飲むにあかし ちょっとそんな態度いいの?と頭のなかでいい、わるいが交錯し、つぶれる。 みなさんの温かさで、活かされた日であったと、感謝いたしております。 #
by koudouan
| 2004-12-15 20:43
「千と千尋の神隠し」がはじまり、面白い紙のお面のものたちが、舟から降りる。
雑面(ぞうめん)。先日の雅楽公演会の舞楽(ぶがく)、蘇利古(そりこ)に用いられる 面である。なんとも、ユーモラスである。 古のひとたちは、なんともこんなに、こころが豊かなのか。 とあまりと ふたつきのひび すごしては 心をただし のぞむ酉とし #
by koudouan
| 2004-12-10 20:51
子どもたちに生活力を身につけさせるのが、親のつとめだと考えている。
とりわけ男の子には、たとえどんなに逆境におかれても、決して失うことのない、 たくましく生き抜く力が必要であろう。そしておそらく、残された美田よりも、彼自身が苦労して 身につけた何ものかの方が、いっそう役立つに違いないと思う。(唱和43年 日本経済新聞婦人家庭部編 「わが家の教育基本法」 三洋電機社長 井植歳男 より) わたしが今、生きているこの時代にこうした考えを持った、トップと呼ばれる人たちが、何人 いるか? でも、ごくまわりに、こころの芯を持っている人はいるのかな? という、わたしは? #
by koudouan
| 2004-12-06 22:55
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